人生のくずかご

人生の雑記録

つまらない毎日に意味を見いだしていく

悩みという大きくて小さな存在

生きている限り悩みは尽きません。

 

よく、宇宙と比較すると悩みなんてちっぽけなものに思えるなんて言いますが、確かに一理あると思います。

宇宙の広大さに思いをはせてみると、不思議な気持ちになります。

自分という視点から見た時はひどく深刻に思える悩みでさえ取るに足らないことに思えてきて、何を真剣に悩んでいるんだろうとふっとバカバカしくなります。

 

たぶん、悩みの対象である出来事を、客観的に見ているからかもしれません。

ひとまず、その出来事に対する自分の感情を横へ置いといてみれば、すべてがどうでもいいことのように思えてくるという感覚。

結構良いですね。

 

しかしあらためて考えてみると、本当に宇宙というものは広大です。

私たちにとってとてつもなく大きな存在である地球でさえ、太陽系の中にある1つの「小さな」惑星です。

 

その太陽系も銀河を構成するほんの一要素にすぎません。

私たちのいる銀河系の大きさは10万光年。

太陽系なんて、銀河系というバカでかいものから見たら小さな点ですらないというわけです。

 

その銀河も宇宙と比較すると小さい小さい存在です。

NASAによれば、銀河の数は観測可能な範囲に限っても、2兆個あると言われています。

2兆個。天文学的数字ですね(宇宙だから)。

宇宙の規模で言うと、たとえ地球が爆発して消滅したところで何の意味もありません。

 

そんなちっぽけな地球の片隅にいる、70数億分の1である自分の存在はいったい何なんでしょうか。

悩みという脳が作り出すよくわからないものに悩まされていることが、あまりにもバカバカしくなってきます。

 

空間的な意味において、自分の小ささに気づかされますが、時間的な意味でも儚さというものに気づかされます。

地球が生まれて46億年。

その中での100年間の人生はどれほどのものなのか。

仮に46億年を「365日」とすれば、100年間はおよそ「0、68秒」という瞬き程度の時間です。(計算間違ってたらすいません)。

儚いですね。

 

何百年、何千年前の一般人が抱えていた深刻な悩みなんて誰にも知られることなくどこかへ消え失せたように、自分の悩みもいずれは地球時間の前に跡形もなく消え失せるのです。

いや、そもそも悩みというものが自分自身にしか実感できない形のないものだから、消えるという表現が正しいのかどうか。

全ての悩みは幻想なのではないかと、そんなことまで考えてしまいます。

 

けれども悲しいかな、こんなことを考えていても「現実」という強大な重力には逆らえないのです。

毎朝毎朝嫌でも「現実」に引き戻され、「自分」という存在からも逃げられません。

どうでもいいと思える悩みも、相変わらず頭の中で場所を取り続けるし、小さなことでうじうじ悩み続ける自分自身もやっぱりここにいるわけで。

 

じゃあ宇宙について考えたところで意味がないのか?というとけしてそんなことはないと思います。

あくまでも視点を変えるきっかけにすぎなくて、主観的に考えすぎている思考を、ちょっと俯瞰して眺めてみようというところが本質の気がします。

他人にはささいなことに映る悩みも、本人の中ではすごく大きな悩みに変換されていることは往々にしてありますからね。

実は自分の中で勝手に不安を増幅させているだけだったりしますし。

 

そもそも人生において、深刻に悩んで貴重なエネルギーを浪費するほどの本当に大事なことなんていったいどれだけあるんですかね。

ほとんどないのではと思えてきます。

それなのに考えすぎて勝手に消耗してる自分て本当バカなんじゃないかと。

自分で自分を苦しめるという悪循環をわかっていながら考えてしまうわけですからそりゃそうでしょう。

 

考えるということが前向きに作用してないんですよね。

延々とループ思考に陥ってしまってます。

本来は解決のためにどうすべきかということを「考え」ないといけないはずなのに。

これも視野が狭くなっていることの弊害だと思います。

そこからの脱却という意味でも客観的な視点を手に入れることはすごく大事なことだと実感してます。

 

まあこうはいってもこれから先きっと無駄に悩んでしまうことあるでしょうね。

人の本質的な部分は簡単に変えられるものではないと思いますし。

それでも、無駄に悩み続ける人生でいいのかと言われるとそれは当然イヤです。

人生もっと気楽に生きるためにも、物事を重要に考えすぎるクセを治していきたいですね。