人生のくずかご

人生の雑記録

つまらない毎日に意味を見いだしていく

しがらみから解放され、どこか遠くへ行きたい

どこか遠くへ旅したり、ここではない場所で暮らしてみたいなーと思うことがあります。

自分のことを誰一人知らない場所で、あらゆるしがらみから解放されていて、やるべきこともなく、先のことを思い煩うことのない生活。

根無し草のようにひとつの場所にとどまらず、気分にまかせて好みの場所を転々とするといった感じ。そういう妄想をしてしまいます。

 

まあ、ひとつの憧れで多分に現実逃避的な意味合いもあるんですけど、思わずにはいられませんね。

なんせ現実は大変ですから。

生きることは苦労の連続だし生きていくための仕事はつまらないし人間関係に煩わされるしいろんな社会の要請に応えていかなきゃいけないし。

不自由でしかありません。

 

そういう窮屈な感じだと非日常を味わいたくなるというもの。現実から離れ、解放感を得たいという気分です。

たまにネットで行ってみたいなあという場所を探していると結構楽しいですね。

むしろ実際に行くよりも、行くことを想像するほうが楽しいってのもありますしね。

行ってみたい所があるなら行けばいいのにって話ではありますが、まあ、いろいろ理由をつけて結局行かないのです。

結構お金使うしなーとか、目的地まで実際行くとなると大変だなーとか。

 

でもそれが最大の原因じゃありません。一番の足かせとなっている理由は、結局どこに行こうと「現実」に戻らないといけないからです。

どんな場所にいって何をしても、その非日常感や楽しさはその場限りの物。いずれは待ち構えている日常生活に否応なく引き戻されてしまいます。

圧倒的な日常の重力に逆らえず、やむなく未練を抱いたまま帰路につくんでしょう。

 

日常があるからこそ非日常的空間をより楽しめるという見方もできないことはないですし、その時を全力で楽しめばいいのかもしれませんが、どうしても頭の片隅で先のことを考えてしまう自分もいるわけで。

 

もしかしたら、いろんなことを楽しめない病にかかっているのかもしれません。

「むなしさ」みたいなものなのか。

「いずれ死んでしまうのにどうして生きなければいけないのか」的な思考に通ずるものがあって、「いずれつまらない生活に戻るのに楽しんでどうなるのか」みたいな感じでしょうか。

 

そんな考えも、自由を手に入れれば多少はマシになるんですかね。

自由になっても生きる理由はわからないけれど、少なくとも未来にあるやるべきことを思い悩む必要はなくなるし、ただただ心のおもむくままに生きれるような気がします。

ここに行ってみたいなとふっと思えば、明日にでも出発できるような身軽さもありますし。

 

ただこれは実際に経験したことのない妄想で、今思っているような自由を手に入れたとして、本当にそれを楽しめるかはわからないところです。

私みたいな性格だとただそれを持て余してしまうだけだったりして。

今みたいにネガティブ思考でその人生すらつまらないものにしてしまう可能性もありそうですからね。

 

人生はどこまでいってもないものねだりなのかもしれません。

ここで書いてるような願望もそれはそれでいいんですが、今の現実にも対処していかないといけないいんでしょうね結局は。

どうもストレスがあると逃避的になりがちですね。

現実的には、課せられた制約の中でいかに楽しく生きていくかという志向も大事にしていきたいです。

 

余談ですが、ドイツ語にはfernweh(フェルンヴェー)という単語があるみたいですね。

意味としては、「どこか遠くへ行きたいという思い」のこと。

今の気持ちにぴったりの言葉だと思います。

実際には行けなかったとしても、せめて心だけでもどっか遠くへと行きたいですね。